« 各サイト★HP進化&増量&充実 | トップページ | ナイフとフォークの達人問題児 »

2008年1月10日 (木)

サンマを綺麗に食べる格好良さ

私は、本来二十歳くらいまでは肉食で、魚と野菜は苦手で、箸すらつけなかった。 食べることの面倒臭さ&喉に骨がささった後の数時間にわたる苦痛の思い出ばかりで、食べず嫌い ( 美味しい ・ まずい ) 以前の問題だった。 それは幼少の頃からで、食卓に魚がならびそうな予感がすると、友人宅に遊びに行き夕食時間まで遊びほうける。 たいがいの家では、『 食べて帰りんちゃい 』 と、声をかけてくれ、カレ-の一皿でもゴチになった。 運悪く自宅で 『 こんな時間から遊びに行くな!』 と言われ、バリアを張られた日は最悪≫≫≫言わんこっちゃない悪戦苦闘の末、喉に骨。。。 本当幼い頃、『 美味しいね~美味しいね~ 』 と、言い合わせたかのような単語を口にしながら食べる家族の前で、口をへの字にまげたまま箸をも持たない自分がそこにいた。 可愛いかったのか、親馬鹿とでも言うか、そんな私の皿には一匹から食べやすいように ( それも骨の一本一本まで取りはぶき ・ 確認して見せ ) ほぐされた、今風に言えばフレ-ク状態の魚が、『 これでも食べないか?! 』 との如く、さしだされたのを思い出す。 さんま・さば・しゃけ・ぶり・などの名前しか思い出さないが、とにかく嫌いだった。

Sanmazennsin_4

稼業を継ぐ修行のため、東京銀座一丁目にある豊国ビル ( 株式会社HOYA ) 5階に境目の無い遠近両用バリラックスを日本に普及させるための、バリラックス ・ エキスパ-ト課と言うのがあったが、そこへ入社した。 新入社員歓迎会と題し私の好物をたずねてきた光井氏。 『 肉です。』 との答えに 『 いくらでも食べろよ♪ 』 と、吉野家の牛丼屋にご招待いただいた。 初めて食べて、なんとこんな美味い物が東京にはあるもんだと、つくずく感動しながら、三杯目を注文した時・・・ 『 満足かぁ?よく食べるなぁ・・・』  後にすかさず、三杯目もたえらげ最後に牛皿大を食べた時に 『 遠慮しろ・・・ 俺は勤め人なんだぞ~』 と、優しく告げられたのが印象的だったが、これくれい肉が好きだったが、申し訳ない事をした。

魚 ・ さんまの話に戻る。 遠近両用の第一人者 ・ 柳沢安夫氏の弟子となった訳だが、師匠の 【 何一つ曲げない負けない生き方と探究心 】 には恐れ入っていた。 ある日、『 ついて来い。』 と、居酒屋に連れて行っていただいた。 その時、なんとまぁ・・・ 綺麗に ・ お見事に ・ さんまの頭&背骨&しっぽだけを残しただけで ( 最近私もよく耳にするが、猫も食べるところが無い位 ) 箸をそろえて置いた。 横目で見ながら 『 格好いい・・・! まさに日本男児 ・ 魚を食べる、食べ方&箸の使い方だ! これこれ、これだ!!! 』 と、心の中で叫んだ。 仕事も、勉学も、生き方も、全て師匠にカブレテいた私は、言うまでも無く、朝夕さんまの塩焼きに挑戦していた。 帰省後当初から「魚を綺麗に食べる方ですね」と言われ続け25年ほど経つが、柳沢氏との出会いがなければ、魚ツウにまでなった今の私は無かっただろうと思う。 ツウになっていった私は、トロ ・ さわら ・ カンパチ ・ ヒラメ ・ 鯛 ・ トビウオ ・ あんこう ・ ふぐ・etc・・・  と、次々に色々な魚をいただいていき舌ツヅミをうち、三十代は赤身が好物となり、四十代半ばくらいからは白身を好んだ。歳とともに好みが変わるのかな? 今は活きのいい白身・少量がいい。 少し寒さを感じだすと恩氏&さんま物語を思い出す。

そして、上記居酒屋の二次会で、越路吹雪の 『 ろくでなし 』 を披露していただいた。 私の事を歌ったのか、ただ18番だったのかは、今だに問うた事もなく不明だが・・・。 二十年以上経ち、宴会の席で見ず知らずの誰かがその歌を歌っている時に、いつのまにか口ずさんでいる自分に気づいた。 やはり私の事だったのかな・・・理由はともあれ ★魚を美味しく&綺麗に食べましょう。箸使いも、ちゃんとね♪

|