赤い蠍・イタリアンスポ-ツカ-
三年も東京にいれば大分慣れた。二年目からは上馬の交差点のマンションに移ったわけで広島からの後輩が来てからは、ここなので保谷男子寮話しと後輩の話しが前後したのでご理解を。上馬は渋谷地下から新多摩川線で…三軒茶屋の次、駒沢大学で降りる。その交差点のビルに日本眼鏡専門学校があり二年間通った。早い話し、問題児・異端児の私は男子寮一年契約と言う理由により追い出された訳だ。バイクは場所をとらないがワーゲンのキャンピングカーは置き場所に困る羽目となり&地理にも慣れたと言う勝手な判断&保谷⇔学生の掛け持ち⇔出向社員として鶴見区にある眼鏡店(オープンした)に手伝いに行く…などにより車の買い替えを考えた。
前にも書いたがマンション&車付きの約束は見る影も無く破られていて、自力でのチャレンジとなった訳だが、どう考えてもポルシェだ!ポルシェが欲しい…しかしお金が無い…ローンと言う手があった…払えるかな?と迷ったあげく…イタリアの真っ赤なフィアットX1ー9オープンカーにした。ポルシェの1/3の価格だが私にとっては財布の中を毎月全てはたく大金だった。【と書いて流せばいいものを・・・中古だから、それのまた半分くらいの価格だと、書いてしまう正直な私・・・】それに乗り保谷に学校に眼鏡店に通ったイキな?(生意気な?)勤労学生だ。東京生活にも慣れ満喫していた三年目、どう言う訳か突然クビになったw(゜o゜)w今から考えれば、地元で待つ両親が「そろそろ帰らせてくれ」の信号でも送ったのであろう。眼鏡学校入学はすでに保谷で、眼&メガネの事は学んでおり何ひとつ問題無くクリアーした事は言うまでも無く、講師で残らないかとのお誘いすらあった。なんて書くとカッコイイ事実、保谷にしろ学校にしろ新製品開発には勤しんだ。キリがないからあまり書かないが、調光染色素材(プラスチックレンズの光により色が変わる)や、グラスファイバー使用ナイロールフレームや、プラスチックレンズに電気を流し屈折率を変え、同じレンズで度数変化させるなど、遠近両用用足元視力表、言い出せばキリが無いのでやめとく。帰省にはフィアットに乗って帰ったが地元津山では少し浮いていたように思えた。いや、だいぶん冷やかな視線をかんじた。しかし、ある意味都会の文化を持ち帰ったのだと言い聞かせ満足にひたっていた。
東京話しも車歴も程々にしないと呆れられるかな?…これからも思いのままに文法完全無視で、思い出した事や、今現在の事や、相当タイムスリップ…話しがあっちこっちに飛ぶのでご了解を。
私は高校の時、同校同学年に卒業した後に一緒になりたかった相手がいたが、『桜散る…』と同級生結婚は難しい事を痛感した。卒業し彼女は地元の短大に行き、私は大阪の大学に行って理由はともあれ終止符をうち、よき思い出となったが…壊れたひとつの理由に同級生の場合、女性の方がマセテいるとでも言うか、大人の男性と話しをしたりの機会も多く世の中を見る知識も高まり、同年齢男性(考え・意見・行動)を子供のように見える時期があるみたいだ。当時、学校と言うひとつの小さな集合帯の中からしか候補の相手を見つけるに過ぎないのだが、社会に出ると色々な考えの色々な力関係を持ち得た色々な男性を知る事になる。今でこそ落ち着いて考え書けるが、当時当事者の私には、《大人に負けた=車に負けた》と言う、ヘンテコな負け理由を持ち(自分に無い物=車)車に対しての誰にも負けたく無い気持ちが高ぶっていたに違いない。今思えば、勝ちも負けも無い幼稚な考えを恥じる。車は車としての価値観であり必要に応じて利用する運搬用具。でも当時は大切で大切で自分の全てで、車の中で暮らしてもいいくらいの思い入れだったかも。男の子なら誰もが経験した思いだ。←とは自分よがりな考えだろうか。それらの屈折もあり帰省時には、○○○○ここにあり(^0^)/と華々しくデビューしたかったのか…
ここ何年かの間にレンタルビデオセンターの棚に韓国物が増えた。何本か見たが内容はどれも似ており、幼い時からの純粋ラブストーリー。そこに繰り広げられる流れは事故&記憶喪失&三角関係だと…わかっているのにやめられない。年配の女性に人気が高いようだが、今風なエッチな内容やベットシーンは全く無く、昔の日本純粋物語映画みたいにも思える。一度はこんな恋をしてみたかったのか、昔を懐かしんでいるのか…人それぞれだろうが。。。私は↑写真添付のころを思い出す。。。ぁはは
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