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2008年2月 1日 (金)

三日坊主にならなかった・ブログ

2008年2月を迎え、私のブログも三日坊主にはならなかった。 我ながら・・・感心感心・・・ナデナデ。     岡山県津山市にある鶴山公園、城跡(石垣のみだったが)、備中櫓のみ復元された。色々難しいらしく…桜の名所として残すか、城を復元するには(元々桜は無かったので)切るか、図面通りの復元ならOKとか,当時の図面があったらとかウンヌン…  私の一生涯のなかに天守閣まで見えるのだろうか?

Sakura_kakuzan 人間って面白いなぁって思うのは、津山市のご要望により《桜を残したいがゆえ》桜を植えた福井氏の説明看板設置を言われ、我が津山鶴山ライオンズクラブは入口横に贈呈した。それには反し、城復元メンバー登録もしており…どちらなのかなと疑問に感じた事もあったが、適度に桜を残しながらの復元希望なのかな?! そこまでの議論も聞いた事は無いが… 毎年早朝例会と題して鶴山公園周囲の清掃をしているが、いつも心の中で考えていた。備中櫓復元の後、木々も整理され少しづつ少しづつ石垣が現れて来ているのに気がついているのは私だけなのだろうか?【斜め反対からの備中櫓写真が多いが、珍しい写真を半田さんから頂いたので添付】

昭和30年代後半から40年代後半まで、毎日のごとく鶴山公園のてっぺん(山岡工務店さん自宅があり)まで上がり遊び、裏の裏まで地形や石垣を知りつくしていただけに…。備中櫓のある石垣も(小学生~中学生の間)山岡君・間庭君達とよじ登り《サイジンコ》を取りオヤツがわりに食べたり、鬼ごっこでは忍者反しの反った石垣の内側の角をつたい、すべりだいのように上から滑り降り、天守閣の石垣から備中櫓横の石垣までムササビ忍者のように飛び移って遊んでいた。未開拓の裏山では原始林ターザンでツタやツルを利用&木のてっぺんに行けば、重みで木がしなり、次の木に移れるなど…皆、遊びにタケテいた。そぅそぅ・・・あの頃はキ-ハンタ-の千葉真一&谷隼人に、みんな憧れていたのを思い出す。http://www.momotown.net/area_tsuyama/chuo_area/chuo_area.html

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