人生の選択・試練を乗り越えて
■ 今回の書き込みは、そうとう長いが・・・最後まで読んでいただきたいと、お願いする <m(__)m> ■
私が社長再任した時は・・・ 再開発アルネ破綻責任を取り / 自宅 ・ 贅沢品 ( 車、バイクは全て、別荘1軒、ビル1軒 ) を全て売却し、必要最低限にとどめ / 金融機関の借銭も全て返却 / 今後の ( 会社 ・ 自分自身 ・ 子供 ・ 家族 ) の行く末 / 離婚 / 全てにおいて ≪ 人生の選択 ・ 決断 ≫ をした。 離婚した事についても、隠すほどの事でもなく ( 皆、口には出さずとも、知られている事だろう ) と、判断し、私の生い立ち文面として残す。 ((((( 写真添付は12年前の子供達の様子だ )))))
再開発については、立ち除き太りに関係した各々 ( 当事者 ・ 担当係 ・ 法律 ) に対しての人間不信 ( 一人の関係者に責任を押し付け、あたかも目立たない事を保ったが、何故かと言うと、ほぼ関係者全員が新築やら建て手の下しようが無かったのが、現状事実 )も、長い目で見ると哀れにも感じ、いずれ末代までの恥となるだろう ⇔ 私&金楊堂が一番綺麗だったと、調査の中心になられた共産党の市会議員さんまでが、太鼓判を押してくださり、人間性の勲章を授かったと判断し、私自身 ・ 心身ともに整理をつけたので、関係無いし、どうでもいい話となった。 ほんとに写真の如く、ガオ~だ!
前置きはこれくらいとして・・・ 離婚後、4年 も経ち再婚したら? と、話を持って来て下さる方々もいる今日この頃。 それはそれとして、今回のブログ φ(..) カキコは、子どもの事だ。 4年 前にさかのぼるが・・・ 子供達は 3人 ともに 18歳 を過ぎ ( 親権者を必要としない成人 )ていたので、私の姓を使うのも、嫁の里に行き嫁の姓をと買うのも自由だし、人生の選択も ( 子どもの・・・いゃ、彼等の ) 自由だ。 私は永年、子供達に対して子供扱いをした事が無い。 そのせいもあってか・・・ 皆、私に敬語を使う。
まず、上記内容選択のおり、( 全員大阪 ・ 神戸に出ていたが ) 社長室に子供 3人を呼び会議を開いた。 どちらと暮らすか?、どちらの姓を名のるか?、現状の把握説明 ( 今後の、家 ・ 会社 ・ 株 ・ 土地 ・ 資産 ・ 家族などの、最善⇔最悪の推測と、目標 )、それぞれの希望 ・ 目標、などを話しあった。
子供達全員、私と暮らす事を選び、私の姓で暮らして行く事に決めた。 離婚後、私と長男とで、妹弟の卒業式に出席したが、再開発破綻のトバッチリを受け、破綻寸前まで追い込まれた当家には余裕すら無かった時期であり、大学3年の長男が早期卒業し 『 二人だけは卒業させて欲しい 』 と涙を飲んだ。 この屈辱と悔しさは、親子ともども忘れないだろうが、逆に眼を覚まさせられ、起爆剤となり現在にいたっている。 『 お父さんは、世間勉強の為にも大学に行け!と命じながら・・・ 今度は早期卒業しろ!ですか・・・。』 と、二人の卒業式の時に、『 良かった・・・ 二人は卒業させてやれた。 』 との、長男の言葉に返す言葉がみつからなかった。
もう少し落ち着いたなら・・・ ( 1~2年内に ) ・・・ 50歳を過ぎたこの歳で大学を受けるつもりだ。 『 型にハマらず、勉強したくなった時が、勉強だ♪ 』 と、自ら先陣を切って教えるつもりだ。 ある大学の法学部 ( 弁護士免許 ) & 一級建築士免許を目指してやろうと思う。 クラガエを考えているのでは無く、老後の頭の体操と、ボケ防止にだから、もちろん、眼については怠らない決意なので、ご安心を!
● 長女 ・ 安希 ( あき ) については・・・ 良縁があれば嫁がせる。 本人の認識と希望は、会社でも ( 仕入担当 ) 役が付き、やめる訳にはいかず、今の生活に慣れているので、このまま神戸に住み、30歳くらいまでを目途に結婚する。 自力生活をするが、密に連絡し、困った時には緊急連絡、一般的帰省時には帰省する事、自宅は無くなる事を話し、後の、株 ・ 資産の持ち分まで告げたが、三人とも動揺も無く聞きいれた。
● 二男 ・ 公彦 ( ともひこ ) は・・・ 本人の希望により・・・ と言うより、昔から私が ≪ 長男が後継者として、よほど相応しく無いと判断しない限り、長男に継がせる ≫
≪ 次男は、別の職種を探し、初代社長となりなさい ≫ と、言いきっていたせいもありでの結論だったのだろう・・・ 料理の辻学院を希望して行き、卒業した。 料理の道で生きると言う。 私は、彼も力強く生きて行かすため、就職の手伝いすらせず、見守っている。 お互いの経費節減のため&まだ目が離せないオトンボのためか、ソシオ一番街の金楊堂の奥 1・2 階を自由に使え! と、様子を見ている処だ。 内装をしたいとか、色々考え希望を伝えて来るが、先の展望のために貯蓄せよと、止めた。 私の会社は、株式会社メガネ金楊堂と、有限会社金楊堂 BUILD 総合管理 と、2社 ある。 その、もうひとつの後記会社の力をそそいでやろうとしている。 ようするに、料亭の一軒くらいは資産分けのつもりで作ってやろうと思う事を告げた。 同じく自宅は無くなる事、後の株 ・ 資産の持ち分まで決めた。
● 長男 ・ 友哉 ( ゆうや ) は・・・ ブログにも再々出演している。 男気が強く、ワンパク ・ ガキ大将そのものだったが、反面教師の私を見て育ったためか、性根は持ちながら冷静な判断 ・ 態度 ・ 言葉も選んで生きている。 株など全ての資産の70%を、最終的には持たせる話をした。 後の30%は、15%ずつ公彦と、安希に、贈与し渡す事も事前省略で話した。 最終的に2人の持ち分は自力で買い取るようにと・・・ ( 私が成し遂げたように、親の健在な内に親の持ち分も、買い取ってみろと・・・ ) そして後継者社長就任以後、次期社長 ( 私の孫 ) に渡すまでの永年に渡り、妹弟2人に対して、役員としての報酬を払い続ける事を約束し、次期後継者として、自覚認識した時期だ。
■ まだ20歳前後の子供なのに 、酷な話をせざる負えなかったのは・・・ 私自身の自覚にもなったし、それぞれの立場の自覚となった事だろう。 ((((( 4年前の話 ))))) 全責任は私が取る役目と、バトンランナ-になった自覚の時だ。 長男が主導権を握りながらも・・・ 皆、兄弟仲が良いので、なによりだ (^。^)y-.。o○
● 会長である母 ・ 佳子 ( よしこ ) は・・・ 納得し勢力から降り、可愛いお婆ちゃんになる事を約束し・・・ 全ては、まだ予定として会社の再建に励んだ。 この文面が書けたと言う事は、再建から安定期に入り、目標を決め邁進を始めたからだ。 しいて言えば・・・ ≪ 後継者育成 & バトンタッチが一番難しい ≫ などと、語っていた母も ≪ 再開発問題やら、私には、もうどうしていいか解らない、お前に託す! 老いては子に従えだ ≫ と、私に託されたが・・・ (@_@。 私が会長から ≪ 船頭は独りでいい≫ と、株も、土地も、ビルも、買取り再建に従事し、立て直したが (?_?;) 喉元過ぎれば・・・ なんのそのと、元気ハツラツになり 『 乗っ取られた 』 とも言われたが、まぁ、いいとしよう ・・・ 元気がなによりだ (^^♪ いったんは全て私が買い取ったが、全てを会社名義にし、息子の代の相続税の心配も無くなった。
何故全てを書いたかと言うと、≪ 誰もが前途悠々では無い ≫ 見えない所で歯をクイシバリ生きている。 今、何かで苦しんでいる方がいるなら、乗り越えて欲しい願いからだ! 負けずに頑張ろう (^_-)-☆
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