前日当日朝までの雨で、河川敷の足元は幾分悪いなりにも、無事 【 津山ごんご祭り ・ 大花火大会 】 が開催された (^_^)/ 花火大会の夜、津山ソシオ1番街商店街は例年に無く平日通りPM.7:00には全店閉店していた w(゜o゜)w 平生はPM.6:30が閉店時間てシャッターを降ろす株式会社メガネ金楊堂 / 津山補聴器センターも、いつもに無くPM.7:45まで開けていたが、外に出て廻りを見渡してみると、全店閉店で真っ暗になっていたので慌てて閉店をした。 土曜夜市が前日だったが故、二日連続の延期、長時間労働は歳老いた経営者にはキツク過酷とでも言えるのだろうが、花火大会という名目で打ち消された内容だろうか (-.-;)? まぁ、それはともあれ、ソシオ一番街は通路の電気さえも同時間から消していたのだから、さすがに省エネまで考えた今年の役員はたいしたもんだと敬服する♪ 花火大会と言う催しイベントはやはり素晴らしきパワーを感じる。 添付の如く、どこから集まったのだろうかと思うほどアルネ東側広場は置き場が無い程に自転車の駐輪場となっていたので驚いた。 私はいつもながら見る視点が廻りの方々と違うと言うか・・・ 今回も相棒から、『 何を撮影しているの? 花火が始まるよ~♪ 』 と、声かけられ我に戻る始末だ (@_@)ξ ぁはは 『 いつもこれくらい自転車が停まるほど、魅力のあるアルネだったりソシオ一番街だったりしないと、商店としての魅力や機能は低下しているって訳だ (-_-)zzz 現にこれだけ集まるじゃないか・・・』 とかなんとか、独り言しながら歩いてた。
母がPM.7:00頃だっただろうか、『 手伝いに行かなくてもいいの? まだお店は開けているの? 』 と、電話をして来た時には気がつかなかったが・・・ 彼女も花火大会を見たかったに違いない。 後何回見せてあげる事が出来るだろうか? バタバタと仕事に追われ、他の事には目もくれず夢中になり、優しさや思いやりに欠けている自分自身に気付き、後で反省とでも言うか、考えさせられるハメとなる事が多い。 今年の花火大会は、私や、家族や、株式会社メガネ金楊堂 / 有限会社金楊堂BUILD総合管理にとっては幾分寂しい? 悔しい思いも隠し切れなかったξ が故にか母を連れて行く気にはなれなかった ⇔ 後から考えれば連れ出しても良かったかも知れない・・・ その時に母の口にする話の内容も熟知していたからかも知れないので、私は、あえて母に対してオオボケを咬ましたのかも知れないξ と、言うのは・・・ 津山再開発破綻のトバッチリにより、解決策として、自宅 ・ 別荘 ・ ビル ・ 車 ・ バイク など全て売却現金化し支払いで対応した。 全てを支払い再開発ビル破綻のトバッチリ解決をした後に、会社本体に余力を持たせる為に・・・ 元津山ショッピングプラザ・イズミ西に位置する有限会社金楊堂BUILD総合管理のビルは昨年暮れに恩師である 【 Z 】 社長に購入していただきお渡ししていた。 【 Z 】 社長は勿論、永年に渡り株式会社メガネ金楊堂のお客様であるが、私自身にとってよき心の父とでも言うか、おじさん的存在の方だ♪・・・ 下記するが、私の人生の大きな転換期を迎える事になる。
再開発の立ち退き時や、破綻時の問題で関わった関係者に対して相当人間不信に陥った。 内容的には思い出したくも関わりたくも無い人間性の方々がほとんどだったという事実だ。 また、私は誰かに何かを相談するよりも、誰かから何かを相談される方が多いかったが故か、自らが困り果て頭を痛めた時に相談ができる相手がいなかったξ 困り果てた時に、朦朧としながらも私の取った行動は、【 Z 】 さんの会社の電話番号を104で尋ねていた。 そして電話をかけていた。 丁寧な受付の女性の声の対応に少しは安らぎながらも、会ってもらえるのか ⇔ もらえないのか・・・ 優しい方なのか ⇔ 怖い方なのか・・・ どんな声なんだろう・・・ と不安は隠せないが、その時はそれ以上に自分自身の人生存続の悩みの方が上回ったのだろう (ー_ー)!! すぐさま、【 Z 】 さんご本人が電話に出て下さり面会日時の約束をしていただけた。 昔、【 Z 】 さんがメガネのご用でご来店いただいた時に母より、『 ○○の社長さんで、永年ご愛顧いただいているんですよ♪ 通孝さん、【 Z 】 さんにご挨拶を・・・ 』 と言われ、ピョコンと <m(__)m> 頭を下げたくらいしか存じ上げては無かったが、凄い方だといつも母からいつも耳にしていた。
今でこそ言えるが・・・ 私はビルも会社運営も全てを売却せねばならないのか?くらいまで、津山再開発破綻のトバッチリと人間不信は大きかったξ 一番に岡山県県北のメガネ同業各社を廻り、株式会社メガネ金楊堂とビルを売却したいが購入の余力と気持があるかどうかを尋ねたが、欲しいという思いはありながらも・・・ (@_@;) まぁ、ここでは関係無い話なので省略させていただく事にする (^。^)y-.。o○ 数日後、【 Z 】 さんとの面会約束時間を迎え、5分前に6階建てビルの玄関に一歩踏み入れた瞬間・・・ 私は人生の転換期のきっかけとなる別世界を見る事になった。 思い ・ 感性 ・ 慣性が渦を巻き、経営者としての本能がメラメラと燃えあがったように思えたのを覚えている。 入口の自動ドアから入った瞬間に、10m程離れていただろうか、受付の女性が立ち、『 いらっしゃいませ <m(__)m> 』 と、お辞儀されたので近づいて行き、『 【 Z 】 社長と○○時に面会の約束をさせていただいております株式会社メガネ金楊堂の今村でございます。』 と、申しあげた処・・・ 何処かに電話で確認したのだろうか後即座に、『 かしこまりました <m(__)m> こちらへどうぞ (^_^)/ 』 と、エレベーター~5階へと案内をして下さった。 一歩踏み入れた入口自動ドアから受付に向いエレベーターに行くまでの数分間の間に、時間 ・ 気持 ・ 自分 ・ 会社 ・ 社長 ・ 人生・・・ 何かよく解らないが、私自身が生まれて持ち得ている本能とでもいうか、全身の血が逆流した (V)o¥o(V) コツコツコツと、大理石を張りつめた床の音を心地よく受け止めながら歩いたのを思い出す。 ((((( 会社だ (^_^)/ 本物だ (@_@; これが会社だ (^_-)-☆ ))))) 私の鼓動は高なったと同時に、あまりにもの自己自社との対比差に、己のオゴリと小ささに気付かされた瞬間だ。 【 終わりと始まりは紙一重 】 俺は終わらない、これからが始まりだ (*^^)v と、我に戻った瞬間だった。
6階の社長室に通され入室た時に、20mほど奥にある社長机の横に立っておられた社長が、ボー然と立ちすくんでいる私に対し、おいでおいで (^_^)/ の手まねきをして下さったのが印象的で、その時の私にはまだ廻りを見るだけの余裕すら無かった (-_-)zzz 仕方無い、当って砕けろ、まな板の鯉だと大きく深呼吸しながら手まねきされたソファーに座らせていただいた。 『 貴方は金楊堂さんのどなたかな? 今日はお母さんが遊びにおいでになるのかなとも思っていたが・・・ 』 と言われ、『 通孝と申します。 息子で、現在の社長をしております <m(__)m> 今回は、私事、独断で参りました。』 と、挨拶させていただきながら話に出向かせていただいた内容 【 今までの経緯 】 を、一方的に話させていただいている間、頷きながら聞いて下さった。 そして最後に私が結論を、またまた一方的に出し話してしまった・・・ 『 お金を借りにか、会社を購入してくださいとお願いするつもりだった ← と言う過去形の話ですので、今その言葉が言えました。 何故なら、言わない自分が出来たからです。 何もかも一方的に話して申し訳ございませんが・・・ おじさんの会社に来させていただいて、おじさんにお会いして、私の考えが変わりました♪ ここに来させていただいただけでパワーをいただきました <m(__)m> 私も小さながらもこの場所と同じ高さのビルを持ち、この高さでの空気を吸った経験があります、いゃ、今現在住んでいます。 今は20坪の5階建ビル 【 津山市河原町 】 ですが・・・ 私の人生に、運 ・ タイミング ・ チャンス ・ 努力が合致すれば、同等の広さのビルのオーナーも夢では無いと思います。 25歳の時に帰省し津山市ソシオ一番街の本社ビルを建てなおし、30歳の時に真庭市にも250坪ほどのビルを建てました。 その間に店舗は美作市/美作店 ・ 真庭市/久世店 ・ 津山市小田中店 ・ 上河原店 ・ 商店街内に時計宝石店 ・ アルネ予定地購入 ・ 自宅・・・ などのスピードで伸ばしました実績があると自負します。 株式会社メガネ金楊堂の4代目社長を退任後、別会社である有限会社金楊堂BUILD総合管理の社長でしたが・・・ ビル業の社長は続けたまま株式会社メガネ金楊堂6代目社長として再任した私には、整理整頓し津山再開発破綻トバッチリの解決義務があります。 解決はして行くにしても、破綻⇔売却⇔再構築の何れを選ぶかという事は・・・ 上記内容まで企業を伸ばす能力があったと自負するならば、そこまで取り組んだ経験の無い他の方々よりは・・・ 私には少しでも・・・ おじさんみたいになりたい、本当の会社にしてみよう、本当の社長になってみよう、というチャンスがあります。 ここで消えるも残るも伸ばすも私次第です。 玄関を入った瞬間に目が覚めました。 おじさんからお金を借りない、ビルや会社を売らない自分が生まれました (^^♪ 長々と自己中な話を聞いていただき感謝いたします <m(__)m> 私が生まれ変わった日。 産みの父も、育ての父も亡くなりましたが、もう一人父が出来たように思えます。』 と、まぁ、ずけずけと出向き、言いたい放題で、ずうずうしいとは私の事だろう・・・ 全てを聞いて下さった 【 Z 】 社長は、『 君はなかなか面白い方だなぁ・・・ いつでも珈琲でも飲みに尋ねて来なさい♪ 生まれ変わったな (^_-)-☆ 頑張りなさい!』 と、私の肩を抱いてくださった \(~o~)/ 『 ビルを買っていただけませんか? と、困った時には言わないしお願いにも参りません。 余力が出来、次のステップの為に売却したいと思った時に相談に乗って下さい <m(__)m> ちょうど津山ショッピングプラザ・イズミ横の金楊堂ビルは、おじさんの所のビルの入口だし、おじさん以外には相談しませんし売却しません。 その時はよろしくお願いいたします <m(__)m> 』 と、私の勝手な結論を出し、おいとました次第だった。 ※ 私は 【 Z 】 氏の呼び方事を・・・ 【 Z社長 ・ Z会長 ・ Zさん 】と、どのようにお呼びしたらいいものか解らなかった為、それに朦朧茫然としていたセイか、最初からご本人には 『 おじさん 』 と言ってしまったが・・・ 対外的には 【 Z社長か Zさん 】 と表現している。 その点については悪しからずご理解を♪
これが、大きなビルの間に挟まれながらも聳え立つ、小さなビル【 有限会社金楊堂BUIL総合管理 : 所有の ←● 金楊堂第一ビル 】 の写真 ( 津山駅方向から鳥取方面に向けて/国道53号線/吉井川河川敷上道路からの撮影で、ビル売却前にテナントの看板撤去の工事をしている時期の物 ) だ。 今は右に写る津山ショッピングプラザ・イズミは解体され平地となっている。 下の写真は、
国道53号線を鳥取方面から駅方向に向けての写真で、上の写真の反対方向から撮影した物だ。
以前津山ショッピングプラザ・イズミが建てられた時に同時に、私の母親、佳子 ( 株式会社メガネ金楊堂の現会長 ) の出資により、金楊堂第一ビル : ビルテナント業を行う為に株式会社メガネ金楊堂の別会社として建てられて、有限会社金楊堂ビルとして設立した ●→
もともとボンボンでは無く、25歳で帰省してからというものメガネ店も猛ダッシュ出店を行ったりの経営者思考・志向はあっただろう中、どうも会長である母親のパワーに押され、私はメガネ部門から身を引いた時期がある。 私は株式会社メガネ金楊堂4代目社長を退任し、5代目社長の座は妻に譲り、有限会社金楊堂ビル ( 津山市河原町 ) を買取り、真庭市にもビルを建て、有限会社金楊堂BUILD総合管理と会社名を改め初代社長となった。 津山再開発事業に土地を貸したが故ξ 再開発ビル運営が破綻した為、土地を貸しただけの私及び家族と株式会社メガネ金楊堂も有限会社金楊堂BUILD総合管理も全てにおいて被害を被った訳だ (@_@;) 理事責任はもみ消し、アルネから借銭までしていて当時返しもしなかった理事連中が ( 補助金を貰い仮店舗費用まで出させた人達は出店しなければ違法なのに、立ち退き肥りの方々を見て、その方々まで途中から退き肥りに切り替え ) 破綻させたのも関わらず・・・ ≪ 運営については理事にお任せします ≫ との印鑑を土地所有者皆から貰った後に破綻させ・・・ 土地評価は1/10まで下げられ、貸しただけの土地所有者を差し押さえて来るんだからたまったもんじゃ無かったξ 本当に人間不信に陥ってあたりまえだったろう (;一_一) 上記ビルの説明や再開発の話はこれくらいでやめておくが・・・ 再開発破綻のトバッチリ解決する為に、有限会社金楊堂BUILD総合管理の社長をしながら、株式会社メガネ金楊堂の6代目社長として再任した訳だ (ー_ー)!! その時から3か月は・・・ 破綻させる? ⇔ 家を残す? ⇔ 株式会社メガネ金楊堂を残す? ⇔ 有限会社金楊堂BUILD総合管理を残す? ⇔ ビルを売る? ⇔ 会社を売る? ⇔ 車で突っ込み死んで保険で解決し後継者に無借金で運営をゆだねる?・・・ まぁ、最終的にどうするかだ・・・ 元妻である元5代目社長は、綺麗に有功に倒産させると言うコンサルタントまで東京から呼ぶし≠対抗する再任6代目社長の私は再構築の為に戦ったが、差し押さえなどされるのは初めての経験で何をしていいのやら解らなかった時期だξ
しかし私が、【 Z 】 社長とお会いしてから後と言うもの、株式会社メガネ金楊堂の猪突猛進再構築が始まった (^_-)-☆ ひとつひとつ解決すれば解決出来ないものは無いと、経営者的闘争本能に任せた己を信じ、【 背水の陣 】 短時間決戦を挑み、ジミチニ、奇想天外に、強引に、[ 全てを家族やスタッフや関係者に語り、会議で説得納得させれるだけの時間も無いので ]、私だけの独断的判断決定により全て動かせた。 最終決定が私にあるなら、最初から私の 『 ご意見無用!』 の構えには、私を取り巻く家族、スタッフ、全ての期間の関連業者の方々全員・・・ 当時、解決、処分、保留、今、明日、来週、来月、1年先、何を考え何をしでかすのか未だかつて理解出来ずだろう。 が、まぁ、全責任は私にあり (*^^)v 信じる者だけついてこい (^^♪ と、何の根拠も無く初めての解決取り組みに賭ける訳だから、寝れない? ⇔ 眠れない? ⇔ 寝るのがもったいない? ⇔ 時間が無い?・・・ スリル満点な5年間だった。 こんなに面白い事、まだまだ息子にゃ渡せませ~ん♪ 荒削りとて、【 勝てば官軍 】 とも人は言う (^_^)/ その都度 【 Z 】 社長の所へお邪魔し、近況報告をしに行ったが雑談として聞いてくださっていたに違いない・・・ 『 ぁはははは~(^◇^) 頑張ったなぁ・・・ しかし、スリル満点だろうξ?♪ 』 等と行くたんびに爆笑されたが、『 へこたれそうになったら、ここに来させていただいています♪ よく解らないけど、ここの空気にはパワーがあって、いっぱい仕込みに来させていただいてます。』 と、正直に答えていた。 ○○を解決し、○○も解決し、と伝え続け・・・ ある時期、『 おおむね目の前が開けて来ました。』 との話の内容に変わって行った。 ほぼ8割方解決が出来た時に、初めてビルを売却した場合の価格を切りださせ尋ねてみた事があった。 お互い合致した価格に収まったが、『 後1年先でも2年先でも売りたい時にはその価格を変えずに購入していただけますか? 』 とまぁ、今から考えても強引かつ一方的なお願いにも呆れられてに違い無いだろうが・・・ 『 君の思うようにしなさい。 そのままの価格で良いでしょう。 今村君のご両親とも昔からの長~いお付き合いだ。 君から安く貰おうと言う気持ちは全く無いよ♪ 』 と、温かいお言葉もいただき包んでくださったお方だ。 しかし、売上と支払のバランスは短期間決選を挑むだけあり、順調な経過ばかりでは無かったのが現状だが・・・ そういう時は私もかえって何も悩み事を語らず、パワーの空気を吸い込みに来させていただきに珈琲を飲みに来させていただきました (^^♪ な~んて強がってニコニコして帰ったもんだが、美作店出向勤務の時なんかにご来店いただき、知らない間に鼈甲メガネなんかをご注文いただけ、助けてくださったのかなぁ・・・ なんて思える事も多々経験させていただいた <m(__)m> 初めてお伺いしてから3年ほど経過し9割方まで、会社を再構築させたと判断した時に、私はビルの売却に踏み切り、買っていただくお願いにあがった。 その旨をお伝えした瞬間に、『 解った♪ よく頑張ったなぁ (^_^)/ 全て約束通りだ (*^^)v それでいいのかな? 』 と、理解し包んでくださった。 私はビルが無くなり悲しいのでは無く、最後の最後まで見守っていただけた感謝の気持ちで瞼が熱くなった。 そして売買当日には、私の息子長男の専務も、土地やビルの売買の方法などを勉強として同行させていただいた。 眼の前を動く大きなお金に専務も真剣に見入った事だろう。 本当にありがたい事の全てだったと、私の生涯忘れぬ思い出となるだろう <m(__)m>
それは昨年の話で・・・ 最後にビルの中から花火大会を見たのは、昨年まだ有限会社金楊堂BUILD総合管理が金楊堂第一ビル所有の時、ビルの5階を自宅売却の後の仮の住まいにしていた私が二階町ソシオ一番街店2階の社長室だった場所を住居に改装し戻り、長男を5階に、母を4階に住まさせていたので、それが金楊堂第一ビルの中から一等地として見る事の出来たビルでの最後の花火大会だったであろう。 売却後は津山ソシオ一番街店 ・ 美作店 ・ 久世店の店舗改装や商品の充実化に勤しんだ。 それからというもの、振り返る事はせず、ビルを眺める事も自ら極力避けていたに違いない。 処が今回の花火大会の前日、知人が花火大会の実行委員をしており、トイレと荷物置き場に元金楊堂ビルを貸してもらえないかと訪ねて来られた。 ぅうん・・・ 貸してもらえないか今の持ち主の 【 Z 】 社長に尋ねてみようか?と、電話させていただいた処、心地よく引き受けて下さったが、管理している部下の方曰く、どろどろで使えないでしょうから、隣のビル内の使用を許可しますとお返事をいただけた。 ならば、最後に私個人が、最後の思い出にと5階の解放を頼んでも貸していただける事を知りながら・・・ 『 5階を、2時間だけ貸していただけますか? 』 とのひと事が声にならず言えなかった (;一_一) 最後に見る金楊堂ビルは・・・ 5階の窓、部屋の中から花火大会を見るのでは無く、花火に照らし出される、ビルの姿を今まで外からビルを見ていた方々の見え方で眺めて見たかったのが本音だろう。 花火大会の後数か月で姿を消してしまう解体予定のビルだから・・・。 言葉にならない思いで河川敷を歩いていた自分がいた。 西から東に向け、花火方向ビル方向に歩きながら、浴衣姿の方々をボンヤリ眺めながら、花火を朦朧と眺めながら、ビルが横に位置した時に河川敷からチラリと眺め上げてみた。 3回は見たかな? 複雑な思いで熱い物がこみ上げ、それ以上見る勇気は起こらなかった (T_T) これでいいんだ・・・ これで・・・ 最後に母親もこの場所に連れて来るべきだったかなぁ・・・ 最後に見せてやればよかったのかなぁ・・・ 見せるも ⇔ 見せぬも、残酷な選択肢だ。 母親なら最後にこう言うだろう・・・ 『 元々何も無かったんだから、元に戻っただけだから、くよくよする事は無い (*^^)v もしも欲しかったり建てたければ自分の力でまた建てたらいい 』 と、言いながら花火をまっすぐに見ている事だろう。 ビルを視野の何処かに入れたまま・・・ 私は戦時中~戦後に育った母よりも気が弱いのかも知れないξ よく言えばナイーブ? 感性豊か? ぁはは 自分で言うか? 最後に私の取った行動は・・・ み~んな花火方向を向いて、花火を満喫し、写真なんかを撮影していたが・・・ 私は花火とは逆方向を向き、花火によって照らしだされる元金楊堂ビルを眺め、照らし出された瞬間を携帯電話のカメラに収めていた。 一風変わった私の行動を見た廻りの全ての方々は、キョトンと首をかしげていた・・・ あッ、そぅそぅ、花火大会での放送は・・・ 山田養峯場さんと全本さんの名前だけ耳に入り覚えれいる。 それぞれの夏 ・ それぞれのごんご祭り ・ それぞれの花火大会 ・ それぞれの思い出・・・ だな (ー_ー)y-.。o○
※ 花火の写真は他の方のを見てあげて <m(__)m>